ちょっと、一服しましょう。今日はジャズのお話。と言うか聞いて下さい、見て下さい。オスカーピーターソントリオ・クァルテット。You Look Good To Me では若き日のレイ ブラウン・ニール ペデルセンのベースが聞かせてくれます。cakewalk は最近 In The Spirit Of Oscarというグループが同名のアルバムを出していますが、なかなか良かったです。であ、大好きなオスカーピーターソンです。どうぞ!
You Look Good To Me
cakewalk
2007年2月28日水曜日
職人さん (本寄せ木)
古い話で申し訳ない。写真は20年前に展開したアパレルメーカーの店舗の写真です。床にご注目下さい。本寄せ木です。亀甲模様や色々な伝統的なパターンがありました。厚み8mmの違う色の木を組み合わせてパターンを考えるのは最高に楽しい仕事でした。しかし残念ながらこの技術を受け継ぐ木工所はどこにもありません。都内で唯一市ヶ谷にあった木工所から廃業の知らせがあったのが15年以上も前でした。本寄せ木以外にも左官や経師や数々の伝統的な技術が後継者の無いまま無くなっていきます。工事現場で3Kに塗れて働く職人達さんを見ていて思う事は『日本はもっと職人の社会的地位を向上させ職人さんがプライドを持って生きて行ける社会であって欲しい』と、そう願わずにいられません。どの職種が欠けても現場は成り立たない。デザイナーも職人さんもみんなが同じ目の高さで向かい合い、それぞれの経験を活かしあって目的を完成さる。そんなチームワークを目指しています。
右の写真は明治時代の職人さんが作った寄せ木のサンプルです。
今日でも木と木の隙間はまったく見られません。
時代が大正・昭和と進むほど職人さんの技術が下がっているように思うと、当時木工所の社長さんはおっしゃっていました。
今は平成。これを作れる職人さんはいなくなってしまいました。
右の写真は明治時代の職人さんが作った寄せ木のサンプルです。
今日でも木と木の隙間はまったく見られません。
時代が大正・昭和と進むほど職人さんの技術が下がっているように思うと、当時木工所の社長さんはおっしゃっていました。
今は平成。これを作れる職人さんはいなくなってしまいました。
2007年2月16日金曜日
ブログ
素敵なブログを見つけました。『マカロン由香の本日の一皿』 読んでいて楽しい気持ちで時間を忘れそうになります。実は僕は人様のブログにコメントなどした事 無いのですが、つい!分けも分らずコメントしてしまいました。するとどうでしょう、僕の名前をクリックすると僕のブログにリンクするようになってしまったのです。それ位楽しい内容だったんですが。 僕のブログは訳あって商業的なところがあるんです。マカロンさんのブログにはHPと切り離して本音の素直さを感じます。ブログってこうあるべきと思うんです。マカロンさんのブログに今の僕のブログがリンクするのは相応しくないと思いました。で、消去お願いしたんですが、送ったメールの文字化け凄いようで伝わりません。どうかマカロンさんがこれ読んでくれるとありがたいのですが・・・お手間かけてすみません。
ブログってどこ迄正直になって良いのか迷うときありますね。でも、努めて正直で素直でありたいと思うんです。マカロンさん、これからも素敵なブログ楽しませてください。お元気でご活躍下さい。
その翌朝、マカロンさんのブログを見たら、あっ!消えてる。
ホッ!お世話かけてしまいました。ありがとうございます。
これからは時々お邪魔して楽しませて下さい。
フォションのエクレア、奇麗ですね。(普通は写真撮らせてくれないんですよ・・・)
益々のご活躍をお祈り申し上げます。
(マドレーヌさんに続いてマカロンさんか〜 次は誰だろう・・・楽しみです)
ブログってどこ迄正直になって良いのか迷うときありますね。でも、努めて正直で素直でありたいと思うんです。マカロンさん、これからも素敵なブログ楽しませてください。お元気でご活躍下さい。
その翌朝、マカロンさんのブログを見たら、あっ!消えてる。
ホッ!お世話かけてしまいました。ありがとうございます。
これからは時々お邪魔して楽しませて下さい。
フォションのエクレア、奇麗ですね。(普通は写真撮らせてくれないんですよ・・・)
益々のご活躍をお祈り申し上げます。
(マドレーヌさんに続いてマカロンさんか〜 次は誰だろう・・・楽しみです)
2007年2月13日火曜日
ブーランジェリー・クピド
2006年 久しぶりのパン屋さんです。しかも、ハード系。対面ですねと聞けば答えは『当然』です。デザインのコンテンツを積み上げるうちにこのお店は成功する、確かな手応えが感じられました。デザインではないですよ。商品作りに対する姿勢です。店作りは当然ローコストです。オーナーはローコスト大好きデザイナーの独断に任せてくれました。但し、リクエストはモダンデザインではありません。デザイナーのモチベーションてお金じゃないんだな、とつくづく感じさせてくれました。)開店前の試食も美味しいのに、まだ70%の出来だと言います。どんな美味しいパンが出来るんだろうという期待の中10月オープンしました。お客様の反応は思った通りです。早速、今年の料理通信2月号にクピドは取り上げられました。ちなみにクピドはキューピットのギリシャ読みだそうで、なんでクピドかは聞いていません。食べ物が美味しければ良いのです。奥沢駅から歩いて2分。自由が丘にお出での際はお立ち寄り下さい。トゥレトゥールも美味しいですよ。
パティスリー ル・ポミエ
2005年 シェフ フレデリック マドレーヌさんはノルマンディーのご出身です。お店のデザインにノルマンディーのイメージを取り入れてと、リクエストされてこられました。『貴方が外国で日本レストランに入って興醒めした経験はありませんか?私もこの店をそうしたくないのです。』
その気持ち凄く分りやすい言葉ですね。私は1996年にマドレーヌさんの故郷カーンの町を通った事があったんです。戦争で壊れなかったノルマンディーを見ていたおかげでリクエストを咀嚼する事ができました。マドレーヌさんは直接ノルマンディーからアンティークのテラコッタをインポートされました。ところがこの貼り方がフランスと日本では考え方が逆・・・ご迷惑をおかけしましたが、なんとかクリアー。外の色使いは井の頭通りの車からも目に付きやすいようにオレンジ色とオークの色の対比でまとめました。日本人の色彩感覚と明らかに違うので最後の色決めはマドレーヌさんに決めてもらいました。トレビアンはもらえませんでしたが、店に行くとサバ!と笑顔で声をかけてくれます。当然答えはメルシーサバ!
その気持ち凄く分りやすい言葉ですね。私は1996年にマドレーヌさんの故郷カーンの町を通った事があったんです。戦争で壊れなかったノルマンディーを見ていたおかげでリクエストを咀嚼する事ができました。マドレーヌさんは直接ノルマンディーからアンティークのテラコッタをインポートされました。ところがこの貼り方がフランスと日本では考え方が逆・・・ご迷惑をおかけしましたが、なんとかクリアー。外の色使いは井の頭通りの車からも目に付きやすいようにオレンジ色とオークの色の対比でまとめました。日本人の色彩感覚と明らかに違うので最後の色決めはマドレーヌさんに決めてもらいました。トレビアンはもらえませんでしたが、店に行くとサバ!と笑顔で声をかけてくれます。当然答えはメルシーサバ!
胡心房 町田
2005年 女性二人で運営出来るラーメン屋さんをデザインして下さい。と、野津さんからのご依頼を戴きました。特に工夫したのはカウンターでした。防水の為に上がった厨房床から女性の手でサービスする。どう考えても女性のヒューマンスペックでは無理があります。従来のカウンターは取り払って全て見えてしまうけど厨房器具の裏面を仕上げてテーブルに直接サービスする。これしか無いと考えました。だからカウンターではありません。厨房に沿ったロングテーブルです。椅子は固定ですが足掛けが無くて女性が座れるぎりぎり寸法。ちょっと足がぶらぶらするかもしれません。全部見えるから作る側もごまかしはききません。そこが又良かったと思いました。店が成功したのはデザインではありません。味が全てで、デザインは脇役な事を実証したお店です。
野津さんは稲城の時から線路の脇がお好きなようです。デザインの過程で電車に飛び込みがあったらどうしよう!窓塞ごうか・・・と心配しました。 検討した結果ですが、プラットホーム最前部と言う事と急行は通過しない線路と言う事が分り窓は解放されたのです。飛び込みようが無いですね。写真はプラットホームに入ってくる電車とお店です。
野津さんは稲城の時から線路の脇がお好きなようです。デザインの過程で電車に飛び込みがあったらどうしよう!窓塞ごうか・・・と心配しました。 検討した結果ですが、プラットホーム最前部と言う事と急行は通過しない線路と言う事が分り窓は解放されたのです。飛び込みようが無いですね。写真はプラットホームに入ってくる電車とお店です。
カフェマディ大宮店 マディ大宮店
2005年 久しぶりにマディのデザインをさせて戴きました。新しいイメージとイノベーション
がリクエストでした。 苦労したのは雑貨とカフェの接点でした。繋がっていないようで繋がっている。異なる業態、異なるショップイメージを同名の同一区画に納めるって机上論の段階ではかなりのプレッシャーだったんです。宙に浮いた黒いキャビネットでアイレベルでは区切られても実際の見え方では脚元が繋がっている。黒くて大きいけど重く感じない。そんな手法で異なった業態を融合させてみました。ここで活躍したのは旭硝子のラグラーチェでした。カフェ外の日差しが窓際の席にまぶしくなく、パブリックの通路からは外を感じる、ラグラーチェは重責を果たしてくれました。場所は大宮ルミネの3階です。近くに行かれたらお立ち寄り下さい。
がリクエストでした。 苦労したのは雑貨とカフェの接点でした。繋がっていないようで繋がっている。異なる業態、異なるショップイメージを同名の同一区画に納めるって机上論の段階ではかなりのプレッシャーだったんです。宙に浮いた黒いキャビネットでアイレベルでは区切られても実際の見え方では脚元が繋がっている。黒くて大きいけど重く感じない。そんな手法で異なった業態を融合させてみました。ここで活躍したのは旭硝子のラグラーチェでした。カフェ外の日差しが窓際の席にまぶしくなく、パブリックの通路からは外を感じる、ラグラーチェは重責を果たしてくれました。場所は大宮ルミネの3階です。近くに行かれたらお立ち寄り下さい。
中村やエッセンス
2004年 ラーメンで培った料理のエッセンスを新しい形でプレゼンテーションするご依頼でした。ヨーロッパの厨房の考え方等をお話しすると柔軟な受け入れ方をされた事が印象的です。入口にあるエッセンスは新聞の上にレンズを置いたイメージを作りたいと言うリクエストでした。最初は特殊硝子メーカー等に交渉をしましたが、コスト、納期の面で折り合わず 結局、手作りで作る事になりました。中村さんの書いたイラストから粘土型を作りシリコンで型を作りエポキシ樹脂で成型した後、死ぬほど研磨でした。担当した安藤君ご苦労様でした。キッチンの機能性や作り手と食べる側の融合を演出すると言うコンセプトをオーナーが理解し決断した結果が中村やエッセンスです。おそらくは中村さんでなくてはこの店は完成も運営も出来なかったと思います。
ナディア 鎌倉
2003年 デザインを通じて社会貢献の意味では思いで深い仕事に鎌倉のナディアがあります。大正時代にたてられた木造民家をリストランテにする仕事だったのですが、ロケーションを見た時に、これからのレストランの理想を感じました。都会のレストランでは顧客はドア一枚で日常との切り替えをしなければならない無理があります。物件の環境は古い鎌倉の車も通れない袋小路です。日本人には茶室のにじり口や縄のれん、神社の門の框など目的迄の経過に、またぐ、くぐる等の動作で気持ちの切り替えをする文化があります。この店は、この袋小路を散策するだけで充分に切り替えは出来てしまう。 後は町並みに影響しない外観を保つ事と建物の持つ雰囲気を壊さない事。すなわちデザイナーは主張しない事だと確信しました。偶然でしょうか、ミラノのデル・ペスカトーレのシャフ、ナディアさんにちなんだこの店はそのシチュエーションもペスカトーレに似ています。民家再生の成功例でもあると思います。地の食材を活かしたシェフのスキルと一緒に楽しんで頂けたら幸いです。
これからの理想のレストランの想いを昨年料理通信0号( 残念ながら非売品です。で取り上げて頂きました。
右の写真はミラノ郊外のリストランテでナディアさんご夫妻と私です。美味しかった・・・。
又、ここで古材の販売を通して古材再生問題に取り組む、長野の山翠舎夢蔵の山上浩昭さんのURLを紹介します。 http://kozai.jp/
これからの理想のレストランの想いを昨年料理通信0号( 残念ながら非売品です。で取り上げて頂きました。
右の写真はミラノ郊外のリストランテでナディアさんご夫妻と私です。美味しかった・・・。
又、ここで古材の販売を通して古材再生問題に取り組む、長野の山翠舎夢蔵の山上浩昭さんのURLを紹介します。 http://kozai.jp/
カフェマディ マディ 青山
1994年 私は、デザインを通じて何処かで社会に貢献出来たら という念いがあります。そんな気持ちを果たせた仕事に青山のマディがあります。もう12年位の歳月が経ちますが当時森林伐採が社会問題として取り上げられていました。この問題は現在も続いているのですが、マディのデザインの依頼を受け、そのコンセプトにこの社会問題をテーマに取り上げました。店舗の素材に新材やメッキを使わない。エコロジー・ローテクノロジーがテーマでした。民家再生など、最近の社会テーマが聞かれる中で改めて古材だけで作ったこの店に愛着を感じます。通常であれば改装しても良い時期に、この店のコンセプトを理解して運営されている経営者に敬意を表します。改装しない事ほどエコロジーな事はないのです。この社会問題が続く限りマディ青山は古くても新しい店だと思います。
パティスリー ジュラール ミュロ
2000年 福岡にジュラールミュロさんのショップをデザインさせて戴いた事があります。既に日本で展開しているミュロさんの店舗とは違ったデザインコンセプトを提案し、ミュロさんの了解を得るためパリのミュロさんを訪ねました。ミュロさんは快くコンセプトを受け入れて頂いたのですが、一つだけリクエストがありました。『商品が厨房の中の白衣から生まれるので 白いイメージを作って欲しい』との事でした。店舗には仕上げ厨房があった為、厨房をオープン化し出来立ての演出を心がけました。その為、陳列ケース類は全てステンレス。厨房器具に商品を並べたイメージで、作る側と買う側の距離感を少しでも縮めたかったのです。一番悩んだのはパンの売り場でした。セルフか対面販売か。当時コンサルタントでこのプロジェクトに参加されていた山崎豊さんに相談し、商品がハード系を主体とする為、対面販売方式を取り入れました。今でこそハード系に対面販売は当然ですが、当時は開店後も運営者とかなりの摩擦がありました。工事が終わり、ミュロさんが来日し店を見て戴いて最初の一言は、トレビアン!でした。フランス語の分らない私にも喜んで戴けた事は直ぐにわかりました。物作りの心はボーダレスと思います。
2007年2月12日月曜日
タンテ アニー
1989年オランダ村にわずか5坪のチーズケーキのお店ができました。オランダで一番多い女性の名前はなに?と、当時ロイター通信社の友人に聞きました。答えはアンナだよ。最初はタンテ アンナでした。ちなみにタンテはオランダ語でおばさんです。経営していた会社はお菓子作りに拘りを持った会社でしたのでカースケーキの評判はあっという間に広まって大変な盛況ぶりでした。1992年ハウステンボスが出来、タンテアニーもお引っ越し、今度は26坪の大きな店舗です。デザインに際しヨーロッパの視察を依頼され10日間ケーキ攻めだった事を思い出します。帰国後さっそくデザインにとりかかり特に工夫したのは照明です。店舗部分にはハイテクなダウンライトは一切使用していません。少し暗い感がありますが、ヨーロッパの古い建物の中に入った雰囲気を出す事が出来ました。木の仕上げはオークに胡粉をすり込んで板目を出しました。デルフトのタイルや色々と工夫をこらしたのですが、行かれる機会がありましたらカースケーキと一緒にインテリアもお楽しみ下さい。
右の写真は5坪の頃のタンテ アニーです。
もう18年も経ったのに昨日の事のように思い出します。
右の写真は5坪の頃のタンテ アニーです。
もう18年も経ったのに昨日の事のように思い出します。
2007年2月11日日曜日
ディーゼルエンジン
数年前、何かの情報でヨーロッパの車の走行経済性の指標が(3リットルで100km=33.33km/1リットル)と、言う記事を読んだ記憶があります。さらに、この指標をクリアー出来るのはガソリンエンジンでは不可能で小型ディーゼルエンジンの開発を・・・だったと思います。その後ヨーロッパのメーカーが日本のディーゼルエンジンメーカーを買収するニュースや昨年トヨタがいすゞと資本提携するニュースを聞きながら、疑問を感じていました。最も早く京都議定書をクリアーする為にはディーゼルエンジンを規制する事なのか・・・
ちなみに10年前にいすゞのビックホーンを購入しました。購入理由はnoxがガソリン車の1/3以下の新開発環境ディーゼルエンジン(コモンレール式)でした。走行距離が20万キロ超えても走れるのはビックホーンの評判でした。乗ってみた実際の燃費は14.2km/1リッター(高速道路)が最高値でした。他にも購入理由はあったのですが、今年で新車登録10年目、都内では車検が通らず19万キロで松本の知り合いに、手放す事となりました。エコロジーについて考えさせられた一件でした。写真は、GSで洗車し送り出す最後のビックホーンと購入する時に夢を見せてくれたイメージ写真です。ビックホーン、ありがとう。素晴らしい車でした。
ちなみに10年前にいすゞのビックホーンを購入しました。購入理由はnoxがガソリン車の1/3以下の新開発環境ディーゼルエンジン(コモンレール式)でした。走行距離が20万キロ超えても走れるのはビックホーンの評判でした。乗ってみた実際の燃費は14.2km/1リッター(高速道路)が最高値でした。他にも購入理由はあったのですが、今年で新車登録10年目、都内では車検が通らず19万キロで松本の知り合いに、手放す事となりました。エコロジーについて考えさせられた一件でした。写真は、GSで洗車し送り出す最後のビックホーンと購入する時に夢を見せてくれたイメージ写真です。ビックホーン、ありがとう。素晴らしい車でした。
人生の一瞬-2
デザインの妥協を強いられれば、デザインの要素を突詰めて整理しなければなりません。それを繰り返した結果なのでしょうか。10年経った今、デザインの組み立てが最初から絞り込まれた考え方が出来るようになれた気がします。職業にしていなければ、こうは成れなかったかもしれません。一時期は職業にした事を悔やんだりしましたが、今は、これで良いのです。とはっきり言い切れます。その確信が山田さんが私に影響したように、誰かに影響して役に立てば幸いです。大事な事はどんな時にもポジティブであり、結果を振り返って後悔しない事だと思います。
人生の一瞬-1
クライアントからデザイン変更を要求されて・・・よくある話です。今から10年位前の事でしょうか。むしゃくしゃした気持ちでタクシーに乗りました。助手席背中のパネルに小さな写真集が何冊か置いてありました。何気なく手にしてみると心に迫る風景写真が目に飛び込んできました。巻末にはようやく3集目がやっと出せた事と写真家の顔写真がでています。運転手さんに一冊、分けてくれるようお願いすると、『買ってくれるんですか?』と嬉しそうな横顔がこちらを振り向きました。なんと作者の方ではありませんか。これだけの力をお持ちなのに何故にドライバーをと訪ねると『写真を撮る事が好きだから,これで良いのです。』はっきりと言い切られました。この瞬間、全てを悟った気持ちでした。好きな事を職業にしたから、妥協する事が苦痛に感じる。善し悪しは別に大事な事を教わった一瞬でした。山田さんいつまでもお元気で頑張って下さい。
写真集は旅、感じたまま。山田ひろまさ写真集『風の見たもの』3
写真集は旅、感じたまま。山田ひろまさ写真集『風の見たもの』3
手作りハム
2007年2月10日土曜日
2007年2月9日金曜日
登録:
投稿 (Atom)