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2007年6月19日火曜日

ブーランジュリ・松岡 (series熊谷3)

パンを置く棚って何が一番奇麗だろう・・・ハード系のパンを買って来て試したら黒い棚が一番奇麗に見える。黒は黒でも赤の入った黒。エボニー。これっきゃ無い。色はコストに関係無いから。既存の建物は色褪せたアイボリー。コンセプトカラーが決まった。エボニー&アイボリー!キャストはポールとスティーヴィー、テーマソング迄出来てる(w Ebony & Ivory by Paul McCartney & Stevie Wonder 下のPlayボタンを押して下さい。テーマソングが聴けます。 
既設の建物の褪せたアイボリーと新しいエボニー。外装のサインは新しいエボニーの下から褪せたアイボリーがロゴを表すイメージで決まり。ところがだ、オペレーションを満足させる黒い素材が見つからない。小さな店だけど核が欲しい。土壇場迄迷ったあげくに軌道修正。記憶の中から登場したのがFRP !





ラグラーチェでは納期が間に合わない。ネット検索で見つかったのが(株)岐阜化成。http://www.gifukasei.co.jp/
直ちに岐阜へ。石井大策さんは快く引き受けて間に合わせてくれました。バックライトとスポット照明のバランスを試している時間も無い。ここは長年の経験とエイ!ヤッ!きゃ無いのだが・・・結果オーライで予想以上にパンが奇麗に見える。工期や厳しい条件をクリアーして設計と設計管理をしてくれたのは 当社のデザイナー齋藤 嘉庸 君です。斉藤君ご苦労様でした。レイの命日 6月10日に無事オープン地元の旬の素材のデニッシュを楽しみにしています。

Ebony & Ivory by Paul McCartney & Stevie Wonder







場所は熊谷市役所の前の欅並木道。熊谷郵便局の隣です。
さいたま県 熊谷市 宮町 2-180 日曜日定休
吉見の百穴に行く途中。田舎っぺうどんも直ぐ近く。熊谷にお出での際は是非お立ち寄り下さい。

2007年3月15日木曜日

Madu 玉川高島屋

2003年 玉川高島屋新館の4階にマディーが出店しました。最も工夫したのは照明です。商材のスペック・色・マテリアル、あらゆるものが一つの区画の中で混在するのが生活雑貨の特徴です。大人の女性がお客様の中心層になるので木の温もりとシンプルモダンを両立させたかったので、何処かに整理感を求めました。それで天井な訳です。ショップファサードから店内を見て下さい。天井からのグレアーを最小限に抑えながら商材には的確に照明が当たっている。それがファサードから見たショップイメージを作っている大事な要素になっているのが分ると思います。このデザインの考え方は後に大宮ルミネのマディーで更に進化し、中村やエッセンスの厨房照明にも応用されています。このような照明デザインが成立するのは、陰で支えて頂いている照明デザイナーの成井さん(照明器具メーカーMAXRAY)がいらっしゃるからなんです。 玉高にお出での際はお立ち寄り下さい。   
MAXRAY  http://www.maxray.co.jp/


では、ここで問題です。同ショップ奥に縦型の硝子ケースがあります。                 →写真
四方が透明の硝子で囲まれたこのケースにはケーストップに照明が付いています。この照明器具の電源はどこから取っているのでしょうか?答えはコメントに書き込むかブログのコンタクトのメールで応募下さい。正解の方の中から抽選で・・・・・          

2007年2月13日火曜日

ブーランジェリー・クピド

2006年 久しぶりのパン屋さんです。しかも、ハード系。対面ですねと聞けば答えは『当然』です。デザインのコンテンツを積み上げるうちにこのお店は成功する、確かな手応えが感じられました。デザインではないですよ。商品作りに対する姿勢です。店作りは当然ローコストです。オーナーはローコスト大好きデザイナーの独断に任せてくれました。但し、リクエストはモダンデザインではありません。デザイナーのモチベーションてお金じゃないんだな、とつくづく感じさせてくれました。)開店前の試食も美味しいのに、まだ70%の出来だと言います。どんな美味しいパンが出来るんだろうという期待の中10月オープンしました。お客様の反応は思った通りです。早速、今年の料理通信2月号にクピドは取り上げられました。ちなみにクピドはキューピットのギリシャ読みだそうで、なんでクピドかは聞いていません。食べ物が美味しければ良いのです。奥沢駅から歩いて2分。自由が丘にお出での際はお立ち寄り下さい。トゥレトゥールも美味しいですよ。

パティスリー ル・ポミエ

2005年 シェフ フレデリック マドレーヌさんはノルマンディーのご出身です。お店のデザインにノルマンディーのイメージを取り入れてと、リクエストされてこられました。『貴方が外国で日本レストランに入って興醒めした経験はありませんか?私もこの店をそうしたくないのです。』
その気持ち凄く分りやすい言葉ですね。私は1996年にマドレーヌさんの故郷カーンの町を通った事があったんです。戦争で壊れなかったノルマンディーを見ていたおかげでリクエストを咀嚼する事ができました。マドレーヌさんは直接ノルマンディーからアンティークのテラコッタをインポートされました。ところがこの貼り方がフランスと日本では考え方が逆・・・ご迷惑をおかけしましたが、なんとかクリアー。外の色使いは井の頭通りの車からも目に付きやすいようにオレンジ色とオークの色の対比でまとめました。日本人の色彩感覚と明らかに違うので最後の色決めはマドレーヌさんに決めてもらいました。トレビアンはもらえませんでしたが、店に行くとサバ!と笑顔で声をかけてくれます。当然答えはメルシーサバ!

胡心房 町田

2005年 女性二人で運営出来るラーメン屋さんをデザインして下さい。と、野津さんからのご依頼を戴きました。特に工夫したのはカウンターでした。防水の為に上がった厨房床から女性の手でサービスする。どう考えても女性のヒューマンスペックでは無理があります。従来のカウンターは取り払って全て見えてしまうけど厨房器具の裏面を仕上げてテーブルに直接サービスする。これしか無いと考えました。だからカウンターではありません。厨房に沿ったロングテーブルです。椅子は固定ですが足掛けが無くて女性が座れるぎりぎり寸法。ちょっと足がぶらぶらするかもしれません。全部見えるから作る側もごまかしはききません。そこが又良かったと思いました。店が成功したのはデザインではありません。味が全てで、デザインは脇役な事を実証したお店です。
野津さんは稲城の時から線路の脇がお好きなようです。デザインの過程で電車に飛び込みがあったらどうしよう!窓塞ごうか・・・と心配しました。 検討した結果ですが、プラットホーム最前部と言う事と急行は通過しない線路と言う事が分り窓は解放されたのです。飛び込みようが無いですね。写真はプラットホームに入ってくる電車とお店です。

カフェマディ大宮店 マディ大宮店

2005年 久しぶりにマディのデザインをさせて戴きました。新しいイメージとイノベーション
がリクエストでした。 苦労したのは雑貨とカフェの接点でした。繋がっていないようで繋がっている。異なる業態、異なるショップイメージを同名の同一区画に納めるって机上論の段階ではかなりのプレッシャーだったんです。宙に浮いた黒いキャビネットでアイレベルでは区切られても実際の見え方では脚元が繋がっている。黒くて大きいけど重く感じない。そんな手法で異なった業態を融合させてみました。ここで活躍したのは旭硝子のラグラーチェでした。カフェ外の日差しが窓際の席にまぶしくなく、パブリックの通路からは外を感じる、ラグラーチェは重責を果たしてくれました。場所は大宮ルミネの3階です。近くに行かれたらお立ち寄り下さい。



中村やエッセンス


2004年 ラーメンで培った料理のエッセンスを新しい形でプレゼンテーションするご依頼でした。ヨーロッパの厨房の考え方等をお話しすると柔軟な受け入れ方をされた事が印象的です。入口にあるエッセンスは新聞の上にレンズを置いたイメージを作りたいと言うリクエストでした。最初は特殊硝子メーカー等に交渉をしましたが、コスト、納期の面で折り合わず 結局、手作りで作る事になりました。中村さんの書いたイラストから粘土型を作りシリコンで型を作りエポキシ樹脂で成型した後、死ぬほど研磨でした。担当した安藤君ご苦労様でした。キッチンの機能性や作り手と食べる側の融合を演出すると言うコンセプトをオーナーが理解し決断した結果が中村やエッセンスです。おそらくは中村さんでなくてはこの店は完成も運営も出来なかったと思います。 
                          

フラウラ

2003年 桜井シャフがフラウラをオープンさせました。パティスリー マディ時代から懇意にして頂いた関係から店舗デザインのご依頼を頂き、完成する事が出来ました。デザインの過程で厨房に対するヨーロッパの考え方や多くの理論をヨーロッパの視察を兼ねて勉強させて頂き、この経験は私の飲食店のデザインに大きな影響を与え、その後の仕事に役立っています。
主客融合の時代に、今後の店作りはどうあるべきかを模索する中で、フラウラを完成させた経験は私の仕事の基本の中に息づいていると思います。

ナディア 鎌倉

2003年 デザインを通じて社会貢献の意味では思いで深い仕事に鎌倉のナディアがあります。大正時代にたてられた木造民家をリストランテにする仕事だったのですが、ロケーションを見た時に、これからのレストランの理想を感じました。都会のレストランでは顧客はドア一枚で日常との切り替えをしなければならない無理があります。物件の環境は古い鎌倉の車も通れない袋小路です。日本人には茶室のにじり口や縄のれん、神社の門の框など目的迄の経過に、またぐ、くぐる等の動作で気持ちの切り替えをする文化があります。この店は、この袋小路を散策するだけで充分に切り替えは出来てしまう。 後は町並みに影響しない外観を保つ事と建物の持つ雰囲気を壊さない事。すなわちデザイナーは主張しない事だと確信しました。偶然でしょうか、ミラノのデル・ペスカトーレのシャフ、ナディアさんにちなんだこの店はそのシチュエーションもペスカトーレに似ています。民家再生の成功例でもあると思います。地の食材を活かしたシェフのスキルと一緒に楽しんで頂けたら幸いです。
これからの理想のレストランの想いを昨年料理通信0号( 残念ながら非売品です。で取り上げて頂きました。
















右の写真はミラノ郊外のリストランテでナディアさんご夫妻と私です。美味しかった・・・。








又、ここで古材の販売を通して古材再生問題に取り組む、長野の山翠舎夢蔵の山上浩昭さんのURLを紹介します。 http://kozai.jp/ 

カフェマディ マディ 青山

1994年 私は、デザインを通じて何処かで社会に貢献出来たら という念いがあります。そんな気持ちを果たせた仕事に青山のマディがあります。もう12年位の歳月が経ちますが当時森林伐採が社会問題として取り上げられていました。この問題は現在も続いているのですが、マディのデザインの依頼を受け、そのコンセプトにこの社会問題をテーマに取り上げました。店舗の素材に新材やメッキを使わない。エコロジー・ローテクノロジーがテーマでした。民家再生など、最近の社会テーマが聞かれる中で改めて古材だけで作ったこの店に愛着を感じます。通常であれば改装しても良い時期に、この店のコンセプトを理解して運営されている経営者に敬意を表します。改装しない事ほどエコロジーな事はないのです。この社会問題が続く限りマディ青山は古くても新しい店だと思います。

パティスリー ジュラール ミュロ

2000年 福岡にジュラールミュロさんのショップをデザインさせて戴いた事があります。既に日本で展開しているミュロさんの店舗とは違ったデザインコンセプトを提案し、ミュロさんの了解を得るためパリのミュロさんを訪ねました。ミュロさんは快くコンセプトを受け入れて頂いたのですが、一つだけリクエストがありました。『商品が厨房の中の白衣から生まれるので 白いイメージを作って欲しい』との事でした。店舗には仕上げ厨房があった為、厨房をオープン化し出来立ての演出を心がけました。その為、陳列ケース類は全てステンレス。厨房器具に商品を並べたイメージで、作る側と買う側の距離感を少しでも縮めたかったのです。一番悩んだのはパンの売り場でした。セルフか対面販売か。当時コンサルタントでこのプロジェクトに参加されていた山崎豊さんに相談し、商品がハード系を主体とする為、対面販売方式を取り入れました。今でこそハード系に対面販売は当然ですが、当時は開店後も運営者とかなりの摩擦がありました。工事が終わり、ミュロさんが来日し店を見て戴いて最初の一言は、トレビアン!でした。フランス語の分らない私にも喜んで戴けた事は直ぐにわかりました。物作りの心はボーダレスと思います。

2007年2月12日月曜日

タンテ アニー

1989年オランダ村にわずか5坪のチーズケーキのお店ができました。オランダで一番多い女性の名前はなに?と、当時ロイター通信社の友人に聞きました。答えはアンナだよ。最初はタンテ アンナでした。ちなみにタンテはオランダ語でおばさんです。経営していた会社はお菓子作りに拘りを持った会社でしたのでカースケーキの評判はあっという間に広まって大変な盛況ぶりでした。1992年ハウステンボスが出来、タンテアニーもお引っ越し、今度は26坪の大きな店舗です。デザインに際しヨーロッパの視察を依頼され10日間ケーキ攻めだった事を思い出します。帰国後さっそくデザインにとりかかり特に工夫したのは照明です。店舗部分にはハイテクなダウンライトは一切使用していません。少し暗い感がありますが、ヨーロッパの古い建物の中に入った雰囲気を出す事が出来ました。木の仕上げはオークに胡粉をすり込んで板目を出しました。デルフトのタイルや色々と工夫をこらしたのですが、行かれる機会がありましたらカースケーキと一緒にインテリアもお楽しみ下さい。

右の写真は5坪の頃のタンテ アニーです。
もう18年も経ったのに昨日の事のように思い出します。